開山の心
松見寺開山の無外如大尼禅師は、俗名を千代野と言いました。
松見寺の老尼につき、
薪を採ったり水を汲んだりして修行をしていました。
しかしあまりに美しい女性だったことが修行の妨げとなっていました。
そんなある日・・・
水を汲みに谷に下りた時に、桶の底が抜けて水もすべて落ちてしまいました。
桶の水に写っていた美しい月もとたんに消えてしまったことを見て、
千代野は忽然として大悟したと伝えられています。
その時に詠んだ詩が残されています。
とにかくに たくみし桶の 底脱けて
水たまらねば 月もやどらず
この詩には、この世は無常・夢・幻であるという「空」の悟りが詠まれていると言います。
空を悟った千代野は、自らの顔にやきごてをあて、火傷を負って醜い顔になりました。
その後京都でさらに修行し、千代野が再びこの地を訪れた時に、
松見寺の水で顔を洗うと元の美しい顔に戻ったという逸話があります。
その因縁により、火傷の治癒に霊験あらたかなる寺としても、松見寺は知られてきました。
千代野は出家後、僧名を無外如大尼禅師と改め、
如大尼は、禅の法を継いだ日本最初の女性で仏教史上画期的に名を残す禅尼となりました。
女人でありながら男性に勝るとも劣らない修行を実践し、
大悟して鎌倉円覚寺の名僧開山仏光国師の高弟となりました。
男僧の中に混じり尼僧が悟りを得た事実は、如大尼が人並はずれた才智を備え、
人並以上の努力をしたことがうかがえます。
松見寺を辞した後、京都に出た如大尼は、ぐんぐんと頭角を現し、
美貌と勝気な尼僧としてその名は京都中に響きわたり、
上杉・二階堂氏という有力な鎌倉御家人の帰依によって景愛寺を創しました。
景愛寺は、尼寺五山随一として栄えました。
如大尼は、この景愛寺で永仁6年(1298)11月28日に遷化しました。