歴 史
松見寺は、岐阜県美濃地方屈指の由緒ある禅寺です。(関市史に詳細に掲載)
鎌倉時代中期に室町幕府初代将軍足利尊氏公の祖母に当たる俗名千代野が
広見の里に、草庵を訪ね、ここで禅の修行をつみ大悟(悟りをひらく)し、
京都に景愛寺を創り、松見寺の開山となりました。
現在も歴史を偲ばす開山お手植えの大杉(市天然記念物)が、境内に悠然とそびえており、
古くより千代野寺として親しまれています。
開山は女性であることが修行の妨げになると、焼きごてで
自らの顔を焼き醜い顔になりました。
ところが、松見寺の水で顔を洗ったら、元の美しい顔に戻ったという逸話があります。
その因縁により、火傷の治癒に霊験あらたかなる寺としても知られてきました。
景愛寺は、後に応仁の乱にて廃絶しますが、
江戸期に入ると門跡寺院(皇族の女性が住職する寺)として復興され、
現在も人形寺として有名な宝鏡寺門跡(百々御所)、宝慈院門跡(千代野御所)、大聖寺門跡(御寺御所)に
受け継がれています。
宝慈院門跡には、応仁の乱の戦火を逃れた如大尼禅師の木造(国重要文化財)が安置され、大切に保存されています。
松見寺は、鎌倉中期より開山如大尼禅師の法灯を守っていましたが、
慶長年中に罹災し、久しく断絶していました。
江戸初期になり養心藏主が尾張藩などの保護を得て再興され宝鏡寺門跡の末寺とされました。
それ以来、寺領を多く有し皇族に繋がる寺として格式を誇りましたが、
明治維新、太平洋戦争敗戦後の農地解放により、その寺領を悉く失いました。
明治時代には臨済宗相国寺に属しましたが、近年になり宝鏡寺門跡と同じく単立寺院となりました。